
昨日の早朝、大好きだった祖母が他界しました。
90歳で、よくぞ初孫の私が、40手前になるまで生きていてくれたな、と思います。
欲を言えば、春に曾孫が生まれるまで、がんばってほしかったけれど。
ほんと、それは涙が出ちゃうくらい、心残りなのだけれど、妊娠報告ができただけ、よかったのかな、と思います。
そんなバタバタな昨日。夜にやっと広げた新聞に出ていた、この広告。
心に響きました。
おばあちゃん、という存在は、私にとってすごく大きいものでした。
4歳くらいまでは同居していましたが、その後父の転勤を機に離れて暮らしていました。
子どものときは、祖母にはすごく甘やかされたのだと思います。お菓子も食べ放題、叱られることもあまりなく。
その頃、私を祖母に預けて小児科の看護師をしていた母には、知識があった分、祖母の子育ては、目に余る子育てだったんじゃないかなあ、と思います。
ネットなんかで、姑に子どもを預けたら、勝手に家ではあげないことにしているお菓子やジュースを与え、ダサい服を買ってきて着せるとか、文句がいっぱい出てるけど、うちの母もきっとそんな気持ちだったんじゃないかなあ。
実際、母は結構厳しく、節制させられたような気がするんですよね。
でも、大人になって、両親と祖父母はそれぞれ役割が違っていて、ありがたい存在だったなあ、と思うのです。
両親は、その時その時、力いっぱい愛してくれているけど、ときどき叱ったりして躾もしないといけないし、やっぱり子どもにとっては、いい子にしていたら、愛してくれる、という存在になりやすいけど、祖父母というのは、どんな自分でも丸ごと受け入れてくれる存在になりえる、と思うのです。
両親は毎日一緒にいて、叱られたり、話しかけても、後でねと言われたり、ほしいと言ってもダメよ、と言われたり。
でも、祖父母は電話するだけで、会いに行くだけで、手紙を書くだけで、満面の笑みで喜んでくれる。
自分がそこにいるだけで、喜ばれる、という経験は、子どもの自尊心を形成するのに、大きい役割を果たしていたんだなあ、と思うのです。
これから、子どもが生まれて、私の両親や、主人の両親が、子どもの祖父母になるわけなんですが、躾は自宅で私が頑張るとして、おじいちゃんおばあちゃんには、とことん甘い存在になってもらってもいいのかなあ、と思います。
まあ、同居じゃないからこんなことが言えるのかもしれないけれど。
まあ、私の祖父は、厳しくて怖い人だったけど。
おばあちゃんのあのすべてを受け入れてくれるやさしさは、こんな歳になっても絶対に忘れないんですよね。
亡くなる数日前に、3日連続でお見舞いに行きました。
妊娠報告には、泣いて喜んでくれて、亡くなる直前まで、おなかに手を当てて、「なっともないか?よかったなあ」と涙する祖母の姿を一生忘れないと思います。
おばあちゃん、天国で、私と娘を見守っててね。
ほんとうに長いこと、たくさん愛してくれてありがとう。