久しぶりの考えたことエントリー。
先日、過労で自殺を選んでしまった新入社員のこのニュースがあり、ちょっと思ったことがあったので書いてみたいと思います。
自分の欲求に正直になる
自分がどうしたいのか、ってフィルターをかけずに見ることは案外難しいことだと思います。
周りの人の期待に答えることが習慣になってしまっていると、本当は自分はどうしたいのか、というのが見えなくなる。
日本人は、子どものころから親や先生や友達がどうしてほしいのかということを、読み取ることが上手になっていて、自分の欲求に気づきにくい人が多いな、と思います。
自分の欲求は自分しか、わからないはず、ですよね。
本当はどうしたいのか、小さいことから人生を決める大きな決断に至るまで、自分に正直になるってすごく大切。
そして、それを主張するのは、日本人はほんとに苦手だと思います。
特に相手が嫌な気持ちになるとわかっていることを、自分の意志で突き通すことは難しい。
例えば、同僚の仕事がすごく忙しいとき。自分は予定が入っていて仕事をそのために調整して終わらせたのに、同僚に手伝ってくれない?と頼まれたとき。
どうしますか?
今日はごめんね、と断ることができる人と、断れない人がいると思います。
もともとの予定が、デートとか、友だちとの約束とかじゃなく、予約していたヨガに行く、とかあまり他の人に迷惑をかけない予定だったらなおさら。
でも、それって、嫌なら断ってもいいんですよね。
もっと「自分の欲求」は「他の人の欲求」と、せめて同じくらい、大切にしてもいいと思います。
自分が幸せで満足してないと人を幸せにはできない
不思議なことに、相手を思って、無理して合わせたはずの親切な行動は、どこかにひずみが出ます。
例えば、ちゃんとお礼を言ってくれない、次に自分が忙しいときに、手伝ってくれなかった、など。
気付かないうちに、見返りを期待します。
私は自分を後回しにしてあんなにやってあげたのに、と思うから。
でも、同僚もほんとは予定をキャンセルしてまで手伝ってほしかったわけじゃないかもしれませんよね。
まず、自分で自分を幸せにする、そしてあふれ出た幸せで、周りの人を幸せにするっていうのが正しいあり方だな、と思います。
自分を抑えて、周りがどうしてほしいか、ばっかり考えていると、見返りがないことに腹を立てたり、相手が自分がしてほしいように行動してくれないことに腹が立つようになります。
自分の欲求は自分で満たす、これが「自立した大人」になるために必要なんだな、と思います。
周りの人はみんなあなたの幸せを願っている
基本の考え方は、いつもこれ。
周りの人は、「私が幸せなのを見るのが幸せなんだ」と知ること。
特に家族はそうであるはずだし、そうあるべきです。
そうでない家族は、離れることを考えたほうがいいかもしれません。
毎日夕食はダンナさんの好きなものを考えてつくり、そういえば自分の好きなおかずはもう長いこと作ってないなあ、とか。
彼の好きそうな服ばかり着て、自分の好きな服やメイクはしてないなあ、とか。
買い物行っても家族の物ばかり買って自分の物はいつも我慢してるなあ、とか。
もう、彼やダンナさんや、家族の好みは変わっているかもしれないのに。
自分が幸せなように動いて、自分のしたいようにして、まず自分を大事にすること。
もちろん、相手の嫌がるとわかっていることを無視しろ、ということじゃなく、自分の欲求をまず相手に伝えることや、相手の欲求と同じくらい自分の欲求も大切にする、ということなんだと思います。
自分の領域である、時間や行動は相手がしてほしいであろうことのためではなく、まず自分の思うように使っていいんだ、ということです。
相手まで思い通りに動かそうとするのは、NG。
そういうのを、パワハラとかモラハラとかいうんです。
人の欲求は推測したってわからない
結局、相手のことを考えて考えて動いたとしても、本当は相手はそれを望んでいないかもしれません。
だから、話し合ったり、ディスカッションしたりすることが大切。
話し合いや、ディスカッションには、自分がどうしたいかを理解して、口に出すことが必要です。
それをしないで、「空気を読んで」行動していると、親があの子はこれが好きだから、って10年前に好きだったメニューを作ってくれて、いや、もう今はそんなに好きじゃないけどね、みたいなことになります。
ご飯ならいいけど、仕事を辞めたいけど、親や恋人が反対するだろうなあ、とか。
彼と別れたいけど、彼はがっかりするだろうなあ、とか。
人生を左右するようなことは、本当にそう思うのか、まず聞いてみる。
自分の欲求をぶつけてみるって大事です。
最終的には自分の思い通りにしていいと思うけど。だって自分の人生なのだから。
もっと自分のことだけ考えていいはず
こうしたい、というのは、口に出せば叶う、といわれるけど、これは半分本当だと思う。
ただ、ツイッターでつぶやいたり、友だちに愚痴っていても口に出したことにはなりません。
仕事のことなら、仕事関係者に、家族のことなら家族に、自分がどうしたいかをオープンにしておくことはすごく大切です。
オープンにしているのに、相手がそれをいつも無視したり、卑下したりしてきたら、モラハラを疑ってもいいと思います。
本当にあなたを大切に思っているなら、なぜそう思うのか理由を聞いてくれたり、間違っているときは理由を話して納得できるようにしてくれるはずだから。
海外の人は、そういう自分の欲求をちゃんと認識して、相手も尊重するというのがすごく上手な人が多いな、と思います。
あの事件の彼女も、病んでしまう前にもっと自分が仕事がつらい!とか、環境がつらい!っていうのを言うべき人に伝えられたら、もしかしたら結果は違ったかもしれません。ちゃんとセクハラやパワハラを相談できるところも社内にはあったはずだし。
もちろんネームバリューを考えたら周りにありえない!と言われるだろうけど、辞める選択肢もあっただろうし、もっと上の人にメールで訴えることもできたかも。
新入社員では難しかったのかな。本当に悔やまれます。
海外で、労働時間が少なかったり、過労死とかが少ないのは、みんな自分の欲求を声高に主張するから。
日本で気が強いなーと思う人でも、海外に行ったら大抵の人が、「意見を言わない人だね」って言われると思います。
それぐらい、みんな強い。
日本人は空気を読むっていう習慣があるけど、それって良し悪しだな、と思います。
我儘でいい、いや、こと、自分の人生に関しては、我儘すぎるくらいわがままでいいんです。
なんて、ちょっと熱く語ってしまいました。
ほんと、みんな、もっと自分のことだけ考えていきていいんじゃないかな。
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